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グローバルな世界

「地球時代の教育」では、グローバル教育を地球時代の教育として位置付け、その特徴を概観してみました。
ここでは、グローバル教育の「グローバル」という言葉に注目してみます。
日常何気なく使われていますが、グローバルとは、一体どのような意味を持つ言葉なのでしょうか。
また、グローバル教育の説明で必ず話題になる「グローバルなものの見方」とは、どのような見方のことをいうのでしょう。
さらには、最近よく耳にする「グローバル化」とは、どのような現象を指しているのでしょう。
聞き慣れてはいるけれども意味の不明確なこれらの言葉に対して、解説を試みることにします。

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「グローバル」の意味

「グローバル」を辞書で引いてみると、最初に「地球の、世界的な」という意味が書かれています。 この意味の「グローバル」は日本でもかなり頻繁に使われ浸透してきたように思います。 たとえば、「グローバル?スタンダード」(世界標準)という場合の「グローバル」がこれにあたります。 しかし、「グローバル」にはもう一つ忘れてはならない大切な意味があります。 それは、わたしたち日本人にはあまり馴染みがないのですが、「全体的な、包括的な」という意味です。 グローバル教育を正しく理解するためには、両方の意味を考慮しなければなりません。


上の二つの辞書的意味は、グローバル教育の説明によく用いられるキーワードとそれぞれ関連しています。 それは、「地球的視野」(global perspective)、「ホリスティック」(holistic)の二つです。 ここでは、この二つのキーワードを用いて、グローバル教育が表す「グローバル」の意味をとらえてみましょう。

「地球の、世界的な」 → 「地球的視野」

まず1つめは、世界が急速にボーダレス化していることです。 交通?通信網の発展によって、様々なものが容易に国境を越えて移動するようになりました。 たとえば、インターネットの普及は、情報が瞬時に世界中を駆けめぐる状況をつくり出しました。 航空網の発達は、人々や商品を大量に世界中に運ぶことを可能にしています。 今や私たちが暮らす地球は急速に小さくなっています。私たちが意識しようがしまいが、世界中の人々との国境を越えた結びつきが、ますます強くなっているのです。

「全体的な、包括的な」 → 「ホリスティック」

次に、「全体的な、包括的な」という意味は、ホリスティックというキーワードに関連しています。 ホリスティックとは、ものごとをバラバラにみるのではなく、複雑に関わりあった一つの全体としてとらえようとする見方です。 それは、網の目のように関連付けられた一つのシステムとして、世界を把握する見方と言ってもいいかもしれません。 いずれにせよ、世界を構成する様々なつながりを大きな視野から見渡していこうとする立場にたつものです。

まとめ

このように整理してみると、グローバル教育の「グローバル」とは、「地球的視野」に立って 「ホリスティック」にものごとをとらえることだと言うことができます。 別な言い方をすれば、それはまさに、「グローバルなものの見方」を言い表していると言ってもいいでしょう(6)。 この意味で、グローバル教育とは、「グローバルなものの見方」を前提とするあらゆる教育を総称するものであると規定することもできます。

6.本サイトでは「グローバルなものの見方」「地球的視野」を区別して用いている。共に"global perspective"の訳語ではあるが、前者は後者を含む広義の概念として位置づけている。

グローバルなものの見方

地球的視野からホリスティックにものごとをとらえるということが、グローバル教育をイメージする際に重要であることは、既に述べた通りです。 ここでは、「グローバルなものの見方」を他のものの見方と比べることによって、さらにその特徴を浮き彫りにしてみましょう。 具体的にイメージしやすいように、図2のモデルを使って説明していきます(7)。 斜線部が「自分たちの世界」を、●がものの見方の出発点を示しています。

【図2 世界をみる三つのものの見方】
自国中心のものの見方

自国中心

国際的なものの見方

国際的

グローバルなものの見方

グローバル

自国中心のものの見方

【図2 世界をみる三つのものの見方】
自国中心のものの見方

自国中心なものの見方


まずは、自国を中心に世界をみるものの見方です。 常に「自分たちの世界」を基準にものごとを判断し、国益が最優先されます。 図中では、同心円の中心にある斜線部分が自国を表しています。 また、ものの見方の出発点を表す●も自国の内にあることに注意してください。

世界は「自分たちの世界」と「その他の世界」という見方でとらえられます。 そして、中心にある「自分たちの世界」から離れれば離れるほど、価値の低い世界になると考えられます。 「自分たちの世界」を基準に世界を認識するので、当然のことながら、「自分たちとは異なる世界」を十分に理解することはできません。

このような自国中心のものの見方は歴史も古く、自国を中央において世界を「華」に見立てた中華思想がその代表的な例です。 また私たちの身近でも、アジア?アフリカなどの国々を「汚い」とか「価値が低い」とみる考えは、このような自国中心主義の見方を反映したものと言えるでしょう。

国際的なものの見方

【図2 世界をみる三つのものの見方】
国際的なものの見方

国際的なものの見方


次に、自国を他の国々と横並びに位置づけて、自国との「つながり」から世界を見ていこうとするものの見方です。 図中のそれぞれの図形は「国」を表していて、斜線部の楕円が自国だと考えてください。

世界は国家の集合体として認識され、各国の「ちがい」にも目が向けられています。 すなわち、それぞれの国家は主権をもつ独立した存在として認められるわけです。 しかしここでも、ものの見方の出発点を示す●は、自国の内にあることに注意が必要です。 すなわち自国の国益を守ることを第一の目的として、他の国々との「つながり」や「ちがい」が考えられているのです。 国益を出発点としているので、自国にとって有益である国とそうでない国という序列が生まれやすく、国家間で競争や対立が起こることも少なくありません。

グローバルなものの見方

【図2 世界をみる三つのものの見方】
グローバルなものの見方

グローバルなものの見方


世界の最後に地球そのものを一つの全体として把握する見方です。 ここでは「国家」だけを基本に世界を見るのではなく、NGO、市民団体、私たち一人ひとりの「つながり」を視野にいれていることにに大きな特徴があります。 したがって、図中にあるそれぞれの図形はもはや「国家」に限定されません。 「国家以外の活動主体」(non-state actors)が、世界を構成する要素として考えられているのです。

またものの見方の出発点である●は、まるで宇宙船に乗って宇宙から眺めるかのように、地球全体を視野に入れています。 国益を越えた地球益の発想から、ものごとが判断されているわけです。 ここでもう一度、前項で言及した「グローバル」の二つの意味を思い出してください。 すなわち、世界は地球的視野からホリスティックに把握されるのです。 「自分たちの世界」とそれ以外の様々な構成要素が複雑にからみ合って、地球社会という一つの全体を構成していることが理解されます。

7.加藤孝次「価値多元化社会」『国際理解教育辞典』創友社、1993年、pp. 34-35を参照。 加藤の3つのものの見方を参考に、ホリスティックな視点を付け加え、新たにモデル化を試みた。

グローバル化の特長

「グローバルなものの見方」では、世界を見る3つのものの見方を紹介しました。 「国際的なものの見方」「グローバルなものの見方」はよく混同されますが、 そのちがいは十分に理解されたでしょうか。


ここでは、多様に展開する「グローバル化」の現象を整理してみようと思います。 「経済のグローバル化」に還元されないもう1つの「グローバル化」を、 (1)誰が、(2)どのように、(3)どこで、 という3つの視点から見ていきます。 これまでの「国際化」とのちがいを意識して、「グローバル化」する現代世界の特質を把握してみましょう。

市民ネットワーク - 国家を越えた市民のつながり

最初に注目したいのは、グローバル化を担う活動主体についてです。 これまで「国家」は国際化の唯一の活動主体として認識されてきました。 しかし冷戦構造の崩壊を契機にして、このような世界観は急激に動揺しています。 実際、EUなどの地域的国際組織、多国籍企業、NGOなど「国家以外の活動主体」が国際社会に対して大きな影響力をもち始めています。 なかでもNGOの活動は、今日のグローバル化をもっともよく特徴づけるものでしょう。 その最大の特色は、「市民」が新たな活動主体として国際社会に登場したことにあります。 先のハイチ大地震でも、多くのNGOが救援?救助活動に従事したことは、まだ記憶に新しいはずです。

ここで注目したいのは、NGOの活動がもはや一部の限られた人々のものではなくなっているという事実です。 草の根運動を通して世界各地で「自分探し」を始めた人々が、共通の関心をもつ仲間を見つけ、ネットワークを広げています。 インターネットや電子メールなどを利用して、その活動は世界に広がり国際社会にも強い影響を与えるようになりました。 たとえば、千を越えるNGOが参加した「対人地雷禁止国際キャンペーン」が97年にノーベル平和賞を受賞しましたが、 これは市民ネットワークの影響力を象徴するものと言えるでしょう。 また、世界中で1000万人が参加したと言われるイラク戦争への反対デモは、国際政治の舞台でも、市民の声が無視できない力を持つことを示すものになりました。 このように市民が国際関係に直接関わることで、今日のグローバル化は多元化し複雑化しています。

パートナーシップ - 競争から共同へ

次に、国際関係の質の問題を取り上げます。 従来の国際化は各国が自国の国益を追求するなかで展開されてきました。 そのためしばしば「競争?対立」が生じてきたのです。 このような国益重視の傾向は、経済のグローバル化によって、今日さらに強められています。 周知のように、経済のグローバル化は市場原理と自由競争の徹底を目標としており、一段と厳しい国際競争時代の到来を告げるものです。 経済的利害が国家の死活問題にもなる現代、国益をかけた「競争?対立」は、一層激しさを増していくだろうとと予想されます。

しかしこれとは別に、ネットワークを広げる市民の活動が「パートナーシップ」という新しい国際関係を生み出しています。 世界中の人々が、人権、環境、平和、開発などの地球規模の問題に関わるなかで、地球益という共通の目的をもって共に支え合う関係を築いています。 そこには次のような二つの意識が見られます。 一つは同時代を一つの地球に生きるという共通意識であり、国境を越えた「地球市民」としての意識と言ってもいいでしょう。 もう一つは「つながろう」とする意識であり、個人、企業、政府などあらゆるものと連携して、公正な地球社会の実現を目指すものです。 この意味で、パートナーシップは「競争?対立」に対峙する「協同?共生」という新しい関係を現代に具体化するものであると言えるでしょう。

日常生活のグローバル化 - 日常と地球とのつながり

最後にグローバル化の場について考えてみます。 国家の枠組みが強固であった時代に、国際化は自国から外へ向かう営みでした。 しかし多くの人々が国境を越えて行き交う今日、国内の国際化が一層重要性を帯びてきています。 「外側から」は、外国人労働者、海外子女、帰国子女などが、一方「内側から」は、在日外国人、アイヌ民族などが、日本社会に対して「内なる国際化」を要請しています。 今や国内に暮らす異なる文化や習慣をもつ人々との共生を抜きにして、日本社会を論じることはできません。 自文化でさえも「多文化」の視点から問い直す必要に迫られているのです。

さらに現代の「グローバル化」は、国家の内と外という枠組みを越えて、日常生活の隅々まで浸透しています。 たとえば醤油や味噌でさえ、原材料の大豆にまで遡れば、実に9割以上が輸入品となります。 他にも新聞、テレビなどの情報、電気、ガスといったエネルギーなど、私たちの「日常」と「地球」全体との結び付きを示す具体例には事欠きません。 このように現代のグローバル化は、もはや国家の内や外にあるというものではなく、私たちの日常そのもののなかに存在していると言えるのです。

まとめ

(1)誰が、(2)どのように、(3)どこで、という3つの特徴から、 「グローバル化」が、これまでの「国際化」とは大きく異なっていることが理解されるでしょう。 今や「国家」を基本とする「国際的なものの見方」では把握できない現実が着実に進行しています。 現代を生きる私たちには、「グローバル化」する世界にふさわしい、新しい生き方が切実に求められているのです。